うん。些細なことでも、積み重ねていくのは大変で、
積み重ね続ける才能と言うのはあるものだけど。

大きなことを成すのなら、小さなことには目をつむる
ってのは、あることなのかもしれないですね…。

塩野七生さんの『キリストの弟』って作品を読んだときにも
感じましたけど、ね?
細かいところは忘れてしまったけれど、
大衆に対しては慈愛の人なのに
生みの母親がキリストに会いに来た時には
私にとっては、人々すべてが母であり兄弟であるから
私を生んだ人がすなわち私の母と言うわけではない。
ってなことを言い放つんですよ。
実の母親としては、ショックですよ。
他人も自分も変わりないって言われちゃったら。
でも、たくさんの人を救うのだったら、恐らく必要な発想です。

仏陀も身分も家族も捨てて人々を救おうと修行の決意をしたときに
奥さんに、引き止められて
「どうしても行くと言うなら、あなたの赤ちゃんを踏んで行って。」
との言葉に、自分の子を踏みつぶして出て行ってますしね。
(や、見たわけじゃないけど!)

なんでそんな話になっているのかと言うと、
ちょっと、前回の映画感想の続きだったりするのです。

マンデラ氏は、確かに偉大だと思いましたよ。
一度定着してしまった不平等をひっくり返すのは、
並大抵じゃないことは、なんとなく想像できたりしますから。

だけど。

そういう運動をするために、家にほとんどいない。
何か闘争があると、一緒にいた家族をその場にほったらかして
参加しに行ってしまう。
人間として偉大であっても、夫としては最悪レベル。
普通の女性なら、夫婦としてやっていこうって、なかなか思えないでしょう。
じゃあ、普通の女性じゃなくて
同志とも呼べそうな、強い女性なら?
今度は、家庭が成り立たない。
台所に主婦2人は要らないと言われるけれど、
一家に父親も2人は要らないのかも。
同じ方向を向いて、一緒に戦うことで、別々に投獄。
志の高さを分かったとしても、子どもはたまったもんじゃないでしょう。
そして、両親とも捕まっている間、
面倒見てくれたのは、たぶん、市井の普通の女性。

偉大なことをやり遂げようと思ったら、
と言うか、人と違ったことをやろうと思ったら、
違えば違うほど、一般的な幸せは求めちゃダメなんだろうな…。
一般的な、心の平穏とかね。

蛙の子は蛙で、結局マンデラ氏の娘さんも意思を継いで
戦いに身を投じていくことになるのだけれど、
見ていて、とても複雑でした。
家族の形にもいろいろあるけれども、
そして、ある意味、強い絆で結ばれているけれども。

なにか… 違う… 気がしちゃうんだよな…。
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
ですか? でしょうね?


Secret