と、言うことで。(言うことで!?)
第2回目を見てみました。
サブタイトルは『命のクリエイター 超細密画の謎』。

本当に細かいんですよね、若冲の絵って。
「細密」と言う言葉がぴったりきます。
そして、どんなに細かい線でも、躊躇がない、迷いがない。
想像するに、脳の中に写真を撮るように、
描く対象のものを記憶したんじゃないかと。
そして、実際描くときには、それをただ紙面上に
(あれ、絹地かな?)再生しただけではないかと。
(思った線を思ったとおりに再生できるのも凄いですが!)
だから、今更、線がぶれたり迷ったりしないじゃないかな。

勿論、「だけ」って言うのは語弊があるけど。
そう言う能力に長けていたんじゃないかと思うんです。

葛飾北斎もそうやって一瞬を切り取ることが出来る目と
それを保存し、再生できる能力の持ち主ですよね。
『神奈川沖浪裏』の波なんて、普通の目じゃああは捉えられません。

絵描きさんの目って、驚くべき超能力を秘めてます。^^;

そして、その目の能力の内なのか、
視線の誘い方を心得、トリックアート的に迷宮に誘い込み、
動かないはずの絵を動かし、音すらも聞かせる…。
ちょっと怖いくらいですね。

怖いくらい、と言えば
指!!! 長男くんの指っ!
数羽の鶏の頭の動き方を両手の指だけで表現って…
一瞬ぞくっとしてしまいましたよ…。
伊達に普段から体使って表現してるわけじゃないんだな。

それから、若冲の絵にはムラがないとか。
どれにも等しく視線がいき、強弱をつけずに描き出す、と。
それを「どの命にも等しく注がれた慈愛に満ちた眼差し」
と言うようなニュアンスで紹介していましたが
私はそうは思えなかったな。
逆に、とっても突き放したような視線を感じました。
”1つ1つのかけがえのない命”
と言うイメージよりも、
”1つ1つ違っていても、どれも同じたかだかの命”
みたいな。

だから逆に、宗教画なのだと、仏画なのだと
解説されたときに、納得がいったりしました。
草木国土悉皆成仏と言う言葉を使っていたけれども、
そこには人間めいた湿った情感じゃなく、
悟ったものを見る気がします。

うぅ、やっぱり性格捻じれてるかしら…